カウンセリングのすすめ

心理カウンセラー小林宏の散文

教師と生徒の距離

ある学校で盗難事件が起こった。

校内の開店前の売店の側に置いてあったパンが大量になくなっていた。

犯人は生徒15人だった。

学校側はこれほど多くの生徒が校内で一緒に万引きをしたということを重大視した。

いつもは学校から父兄に連絡をしてその後自宅謹慎などの処分をするのだが、今回は事の重大性を考慮し本人の口から直接親に伝えさせ「本人から聞いた」という内容の文書を親の署名入りで提出させることにしてその上で自宅謹慎であった。

ところが教師が話してみると本人たちからは「反省してる」という言葉とは裏腹に反省の色が全く伝わってこない。

そのことを耳にした副校長は「これだけのことをしておいて反省の色がないとなるとこれは退学処分しかない」といきりたってしまった。

教師は生徒と話しても何かピンとこない、ピタッといかない思いがしていた。

何故だろうか?

おそらく生徒たちは心から反省するという気にはなっていない。

本心は「たかがパンじゃないか、それをオーバーにヒステリックにならなくてもいいじゃん」ということではないのか。でも先生の前でそんなことを言ったら大変なことになるとわかるから「反省してる」と言っているのではないか?

教師が例えば「君たちは言葉では反省してるとかすまなかったとか言ってるけど、本当はたかがパンと思ってるんじゃないか。正直に言っていいよ」と言えばどうなったか?

おそらく生徒は自分の本心を言うと思う。

教育とか指導は大人から一方的に与えるのではなく、生徒たちからの正直な声、率直な思いを聞いて、もし問題があるとすれば、その上で正していくことが大事である。

おそらく実態はある意図を持った悪意のあるいたずら、嫌がらせといった行為ではない。たまたまそこに居合わせた生徒たちの悪ふざけ遊び感覚の出来心だったということだろう。

今回パンを失敬した生徒たちにここで事の重大さを深く認識させ反省させなければ将来万引きの常習犯になるかもしれないなどという考え方は生徒一人一人の実態とはあまりにかけ離れてるということになるのではないか。

それでは教師と生徒の距離はあまりにかけ離れてそれを埋めることは出来ない。

「君たち、本当はたかがパンと思ってるんじゃないか。もしいたずら遊び感覚ということで、しかも校内でのことだし、もう少し大目にみてくれてもいいんじゃないの、ということならわからなくもない。でもやったことはやったことだから後始末くらい自分たちできちんとやりなさい。それはわかるだろう?」と生徒にいってあげればよいのだと思う。

その方がはるかに生徒たちは自分のやったことを認識し今後の自分のありかたに目がいくのではないだろうか。
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